第八席 国際化  

 「国際化」という言葉が当たり前の様に使われ出して、久しくなります。同時に、「国際的な人材が必要になる。」という言葉も、よく耳にする所です。それでは、「国際的な人材」とは、どの様な人材なので しょうか。  

 ・外国語を操る事  ・交渉上手な外国人に、勝るとも劣らない交渉力を持つ事  ・国際的な
マナーを身につけ、自国と他国の事を良く識っている事  ・健康である事など、求められる能力は多く有る様です。筆者も、外国語や国際的なマナーなど、身につけてみたいものだと、憧れてしまいます。  

 更に、「国際的な人材」が活躍する姿に想いを巡らせてみます。 もちろん筆者自身、「国際的な人材」ではありませんし、その活躍する現場に日々立ち会っている訳でもありませんから、ここでは逆に、 私たちが外国の方と接する機会を基に考えてみましょう。 例えば、語学を教える場で あっても、ビジネスの場であっても、この「人材」の相手は何でしょうか。「機械」でしょうか。「コンピュータ」で しょうか。そうではなく、突き詰めるならば、「人間」ではないでしょうか。 そして、「国際的」な場ですから、相手は 「異文化を有する人間」という事になります。

 「人間と人間」が接する際、そこに観られる要素として、 ○信義と利益 があり、相手が異文化を有する方であるならば、そこに、 ○異文化を識る事 が加わります。

 ○信義と利益 について考えてみましょう。 ここでいう「利益」には、他者を思いやる、他者のための利益である 「他者愛」から、自分個人の利益のみを考える、「自己愛」までを含み ます。 ○「信義は大きく、相手のための利益は大きく、自らの利益は小さい」  これを「友情」といいます。 ○「信義は小さく、相手のための利益は小さく、自らの利益のみ大きい」  このような場を作っている人物を、「自己中心的人物」と呼び、評して  「小人(しょうじん)」といいます。加えて、信頼してくれている人の信義を踏みにじる行為をしたとき、「賊」と評します ○「信義を保ち、相手のための利益も、自らの利益も実現させる」これは良好なビジネスの場で多く観られる関係でしょうし、 ○「信義は大きく、相手の利益も考慮し、自らは自己の利益を顧みずに、自身を信頼する者、
自身が所属する組織の利益を実現する」この場にある、「信義も大きく、誠実な人物」を、評して 「大人  (たいじん)」といいます。  

 大きな利益を背負いながら、相手を信頼し相手に信頼され、相手と自らの背景にある人々、  組織が倶に利益を得て、更に発展する関係を築きあげられる人物。「大人(たいじん)」と呼ぶに相応しいと考えます。

 身近な場で考えてみましょう。例えば、お互いに利益の対立がある、 ビジネスの場ではどうでしょうか。もしも、交渉の相手方に、「私の会社は本当にひどい会社です。私の会社は、成立から 事業内容からこれまでの歴史まで、すべてにおいて最低です。私の同僚も、従業員も、全員だめです。御社こそ素晴らしい。この利益は、もちろん無条件で差し上げます。」と言われたらどうでしょう。

 「この人は一体何をするつもりでここにいるのか。何を言っているの か。もしかすると自分は馬鹿にされているのか。」と考えるでしょうし、狡猾な人ならば、「こういう人物はとことん利用して やろう。利用し尽く したら、他に何の利用価値も無いのだから、この小人(しょうじん)が害を成す前に、さっさと切り捨ててやろう。」と考えるでしょう。  

 逆に、相手方が、「私の立場として、ここは納得出来るが、ここは譲れない。」と言ったらどうでしょうか。相手の立場を尊重しながら、 「譲れない」部分について、話合いの余地がある、と感じるのではないでしょうか。

 この、両者の違いは何でしょうか。例えにあるビジネスの場だけでは なく、行くか帰るか、右か左か、など、利益が対立する場でも、この両者の様な対応は、存在し得ます。 前者は、まったく 主体性も無く、「自分」というものも有りません。対して、後者は、主張すべき自分自身の立場と、意見を持っています。 つまり、後者は、ぶれる事の無い、「自分自身の軸」 を持っています。

 「自分自身の軸」があるからこそ、納得出来る部分と出来ない部分が明確であり、他者との
相違点も明確です。この様な人物とならば、お互 いの相違点を理解し合いながら、信頼関係を築ける、と感じるのではないでしょうか。  「自分自身の軸」が無ければ、他者の意見を理解しよう とするとき、そのまま他者の意見に飲み込まれてしまいます。「何かを吸収する」と「何かに吸収 される」は、全く違う事なのです。何かを吸収するには、自分自身が確りしていなければならないのではないでしょうか。  

 そしてこれが、「異文化を識る」際にも、大切になって来るのではないでしょうか。  「人と人」であれば、「育ち、教育、家族、友人、環境」の違いなどが、「文化の違い」となって顕れます。他者と会う度に、他者の「文化」に吸収されて、自分の意見を180度変えてしまう人がいるならば、誰が その人の言葉を信じるでしょうか。その人物を信じるでしょうか。さらに、外国の方と接するならば、「文化の違い」とは、「国の風土、 国の習慣、文化、歴史、社会」の違いといえるのではないでしょうか。あわせて考えますと、「自分自身の軸」とは、 「自分を自分たらしめる基である、育ち、教育、家族、友人、環境、国の 風土、国の習慣、文化、歴史、社会」であるといえそうです。

 すなわち、「国際化」された「国際的な人材」に求められる要素として、「利益と信義」「異文化を識る事」が加わるのであれば、「国際化」とは、「自らと、自らの国を識る事」でもある、といえるのではないでしょうか。  

 さて、ここからは、大変手前味噌な話をさせて頂きたい所です。 「国際的な人材」造りに、武術は大変役に立つのではないでしょうか。 武術を学ぶ事で、  ・礼儀作法が身につく  ・体も強くなって、健康増進にも役立つ  ・勇気と冷静さをもたらす、「丹田」と「腹式呼吸」を修練出来る  ・体で学ぶ事は、体でインプット・アウトプットする事で、自己開発に役立つ  
 多くの方は、大変に勤勉で、よく読書をされ、知識を養っておられる様です。武術は、「体」で学ぶものですから、加えて学ばれれば、更に発展があるものと考えます。 これは、「文武両道」と いう崇敬すべき概念の、一側面なのではないでしょうか。  

・外国の方が持つ、「日本」のイメージにも当てはまるのでは  

 こうして、「剛い肉体」即ち「剛いハードウェア」に、学習に依って、語学、交渉術を含む素晴ら  しい「ソフトウェア」を身につけ、「武術家スピ リット」で自らを「オペレーション」する人物、「健全  なる精神は健全なる肉体に宿る」「丹田修練」「文武両道」を体現し、「自分自身の軸」を確りと定め、培われた「正しい姿勢」で、正々堂々、且つ悠然と世界を 征く、そんな「人材」を見てみたい、と考えるのは、筆者だけでは無いで しょう。

                                                                                           相顕舎の庵 第八席 了



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