第六席

筆者のスランプ体験記 その二  

 筆者がスランプに陥った体験については、すでに申し述べました。今回は、そこから、 「朧気 (おぼろげ)な認識」に至るまでを、参考に資するため、申し述べたいと存じます。  

 さて、「力」といえば、バーベルなど、重量物を使用して培われる、たくましい「力こぶ」 に表現 される、「重量物を軽々と持ち上げる力」という認識しか、筆者は持ち合わせてはいませんでし た。  当時の筆者を分析しますと、「力」に対する認識は以上のとおりで、それまで独自に行っていた「トレーニング」は、「重量物を使用して、筋肉隆々、力こぶを盛り上げる」ことが目的で、それに励むことで練成された肉体は、「対重量物体」というべきで、その肉体で行う運動は、 「対重量物運動」 とでもいうべきものでした。  

 ですから、「指を伸ばして行う」とお教え頂くと、「指を伸ばした型」をする事に 「対重量力」を発揮する、つまり、「リキむ」状態となっておりました。太極拳の様に、 柔らかな運動、型をお教え頂く と、どこで「対重量物力」を発揮してよいのか、つまり、 「キめ」てよいのか判らないで、ただただ、真似する事しか出来ませんでした。  

 吉丸先生は、愚鈍な筆者にも解る様に、ご教授して下さいますから、とにかく、解らないまでも、お教え頂いた事は、帳面に書き記す様にしておりました。  

 練習の際には、吉丸先生の手を直接取らせて頂き、また、手を取って頂き、お教え頂くのです が、当時の認識は、吉丸先生のお「力」は、とてつもなくお強いけれど、例えば、掴んだ手に、
掴まれた部位で直接対抗する、といった、「直接的な力」では決して無い、というものでした。  では、そのお「力」は何なのか、が、筆者には解りませんでし た。今、考えますと、もしその
お「力」が、筆者が日常体験でき得る、例えばそれこそ、「重量物を挙げる力」であれば、筆者にも経験的にそうであると、認識出来たのではないでしょうか。そうではないとは認識出来たのです が、何かは認識出来なかった訳です。という事は、それは決して、一般的、日常的に使用されている「力」ではなくて、 また、使用されていても、普段は「力」とは認識されていないような、まさ に、鍛練によって練成された、「力」である、といえるでしょう。

 それでは、その「力」を認識するには、どのようにしたら良いのでしょう。 武道の大天才ならば、自らその「力」を認識・探究して、自得してしまうのかもしれません。しかし、多くの人はそうでは ないのでしょう。やはり、この「力」を認識するのには、「師伝」が最も大切かと存じます。

 当時、吉丸先生はこの「力」という事に関して、著述はされておられませんでした。 ですから  筆者は、理解出来なくとも、先生にお教え頂いた事柄について、出来る限り帳面に記すようにしておりました。 そして、「こう考えれば、お教え頂いた事がすっきりまとまるのかな。」という、 「朧気(おぼれげ)な認識」に至る事が出来ました。

 もっとも、うまく技が出来ない 事もあって、その最大の要因は、「リキみ」ぐせにある様でした。   
 現在では、吉丸先生は、「力」という事に関して、詳細に著述されておられますから、 是非、  熟読されて、多くの事を、皆様に学んで頂きたいと存じます。そして、現在見直してみますと、  実は、筆者が修行を開始致しました速い段階で、 吉丸先生は、とても解りやすく、この「力」という事について、ご教授下さっていました。 筆者には、力感の全く無いその運動が、「力」とは到底認識出来ず、その状態から、長く脱ける事が出来なかったという事です。

                                       相顕舎の庵 第六席 了
                               


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