第12席  「体験」

 今回は、「体験」する事の大切さについてです。 修行者が、「力を抜く事で別のチカラが出る。」と、知識として知ったと します。大変重要なポイントを知った訳ですが、「識った」だけでは充分 ではない様です。なぜなら、この言葉には、二つの解釈を為す事が 出来るためです。ひとつは、 「力を抜くと、自然に別のチカラが発揮される。」、もうひとつは、 「別のチカラである、伸筋群のチカラを発揮するために、屈筋群の力を 抜く。」という解釈です。  前者の場合、「チカラは自然に人体に備わっており、チカラを抜けば 発揮されるのであるから、鍛錬は力を抜く事に重点を置く。」事となり、 後者の場合、「力を抜く事で発揮されるのは伸筋群のチカラであり、 伸筋群自体の鍛錬が必要。」という事になり、鍛錬の方向性に違いが 出る事となります。  もちろん、書籍やテキストを充分に読み込む事で、答えは出る訳です が、やはり「識った」だけでなく、そこに示されている鍛錬を行うなど、 「体験」する事も大切です。  体技では、「体験」は「知識」を補完します。  筆者が吉丸先生の許で稽古させて頂けたのも、「徹し」の「体験」を 求めた事が契機となっております。「徹しの基礎の基礎」を「体験」させ て頂いた事に始まり、吉丸先生から、「科学的な物事の捉え方」や、 「強さとは多くの技を憶える事だけではなく、技術を体(たい)する事。」 であり、食生活を含め、体(たい)を変える事の大切さや、体術の精妙さ など、大変多くの事を学び、気付かされたものです。吉丸先生から賜っ たお教えは、筆者の礎であり、宝と謂えます。

 「体験」 こそが、次のステップへと自らを導いてくれます。 テレビ画面で観る「自然」は、本物でしょうか。ゲームでシュミレートする 「経験」は、本物でしょうか。その様な事は無い筈です。そして、そこから 広がるものも無い筈です。若い方々は、是非、「本物」を「体験」して欲し いものです。 自然のなかに出て、五感で感じて下さい。空を見上げてみて下さい。 美しい芸術を鑑賞してみましょう。賞賛される文学に触れてみましょう。 その後、あなたは一歩進んだことを実感するのではないでしょうか。 大いに、そして一所懸命に「体験」し、「感動」して欲しいものです。  「感動」といえば、筆者も、四捨五入すると50歳を数える様になりまし た。学んでいたつもりでも、ただ「識っている」つもりだった事柄は、普段 使用していないと、まるで、「揮発」してしまうかの様に、忘却してしまい ます。しかし、自らが五感で感じ、体験し、感動した事柄は、筆者の許 に鮮明に残っております。美しいと感じた風景や風の薫り、多くの人々 から受けた親切、「徹しの基礎の基礎」を受けさせて頂いた感覚、そして 吉丸先生の受手を勤めさせて頂いて感じた「合気」の感覚など、「体験」 し、「感動」した事柄は確かに活き活きと息づいており、現在考えてみれ ば、これこそを自らの内にある「財産」と謂うのであり、これらの質と量 が、その「人物」を形造る重要な要素と成るのではないでしょうか。 10代、20代の頃には、考えてもいない事でした。そして、「感動」を 失ったとき、「新鮮さ」を失ったとき、それこそを「老い」と謂うのではない でしょうか。  もちろん、「体験」には、「事前準備」が必要です。登山で例えれば、 麓は晴れていても、途中は雨の場合もあるもので、「事前」によく調べ、 備える事が大切な様に、「相手を識る」ことが大切です。「体験」を求め ても、何も、危険な場所や、やたらと高額な金銭を要求して来るような 団体などへ出向く必要など、全く有りませんから、必ず、「事前」の準備 とリサーチが必要です。

 ゲームに浸かっている方は、たった今から、「ゲームは1日1時間 だけ。」と決め、公園に行く、コンサートに出掛ける、おいしいと評判の 料理を食べに出掛ける、など、身近にあって、出来るものから「体験」 してみましょう。  かつて、「テレビゲームのやり過ぎは、百害あって一利なし、である。」 という意見を聴きました。筆者も全く同感です。ゲームのやり過ぎで、 結果として夜更かしし、充分な睡眠を取らない、画面の見過ぎで視力を 落とす、他人と共同作業が出来なくなる、ゲームをやっている時間に 努力している他人にどんどん差を付けられるなど、良い所がまずありま せん。余談ですが、本屋さんに行くと、視力回復のための書籍が随分と 売れている様子ですから、回復の可能性が少しでもあるならば、チャレ ンジする事も有意義ではないでしょうか。  「努力して、自らを磨いても、無駄なのではないか。」とお考えの若者 も有ります。そうでしょうか。  今現在、世の中を動かしている世代は、将来、必ず引退するときが 来ます。そしてそのとき、世の中を担うのは、今の若者世代です。つまり 望むと望まないと、必ず今の若者世代が社会の中心に立つときが来る のです。そのとき、何が出来るのか、機会を掴めるのか否かは、いまの 若者世代個々人に掛かっているのではないでしょうか。  その「時」は、大抜擢を受けて明日かもしれません。10年後かも知れ ません。その際に、「ゲームのやり過ぎで疲れて出来ません。」「どうせ この様なチャンスは無いと思っていたので、準備不足で出来ません。」 では、なかなか次に繋がりません。

 若者には、大切に想う異性を振り向かせる為、相手の好きなタイプ、 興味のある事などを徹底的にサーチし、積極的にアプローチして、誠意 に基づいて、あるときは上手く交際し、あるときはケンカし、あるときは 失敗するという、最高最大の「異文化交流体験」をするという特権が あります。もちろん、「気持ちは若い人」も、問題がなければ体験できま す。  若者は、背筋を伸ばして、胸を張りましょう。他人の「噂」ではなく、 自分の目で観る、人の発言や「報道」ではなく、全文を自分の目と耳で 確かめる、書を読み、ときに自然に身を置き、そして、芸術に触れて みましょう。  これらの体験に依り、「自分の考え、意見」が出来てきます。きっと いつの日か、「相顕舎ではこう言っていたが、私は更に良い方法が 解った。」と想われる日が来ます。それで良いのです。それでこそ、この 席で、ここまでお付き合い頂いた事が活きるのです。そしてそれは、 筆者望外の喜びでもあるのですから。 (第12席 了)



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